あ、僕も(共通点)なんですよー!→だからなに?
昔からそうなんですけど、共通点ありますねみたいな話で盛り上がれない。
その話だったら別に僕じゃなくていいよねみたいな。
むしろ僕は、共通点がない人の話の方が面白い。
理由は単純で僕の経験の外からの意見の話が聞けるし、想像がつかないから。
っていうか、共通点探してくるやつ勘違いしすぎ。時間の無駄だからやめてくれ。
共通点で仲良くなれる話ってマイノリティだからでしょ。
例えば、
A「僕昔屁こいた時に火がついて家燃えたんですよ」
B「あ、俺も俺も。」
これなら共通点で仲良くなる例としてわかる。
理由は単純で、こんなレアな経験を共有できるのがA君とB君しかいないから。
その時の気持ちを共有したいし、その時にお互いに何があったのか凄く興味がわく。
もっと身近な所でいえば、爬虫類飼育者。
マイノリティだから仲間が見つかった時には凄くうれしいし、お互いに何を飼ってるかとか、どんな飼い方をしてるのかとか、狭い世界が少しでも広がるから仲良くなれるんですよ。
でも、
「俺サラリーマンなんですよ」
「あ、俺も俺も。」
とは、ならないでしょう。マジョリティなんだから当たり前。
自分の想像の中で十分補える話だし、そもそも圧倒的に「あ、そうですか」しか出てこない。面白くない。世界が全く広がりませんね。
意味のない共通点を探して盛り上がれると思うな。
その価値がその場所に対して適してるかを考えろ
日本で「僕日本人です」は、共通点としては無価値ですよね。だって日本じゃんみたいな。
少なくとも今現在は無価値に等しい。
でもブラジルでの「僕日本人です」っていう共通点は日本よりも価値が高い。なぜなら、周りが日本人じゃないから。
何が言いたいかっていうと、自分の立ち位置をちゃんと考えればその共通点に価値があるかどうかはよくわかるよねってこと。
性別は男でいくつで仕事はなにをしてて、趣味はこれだなって考えたらすぐわかるでしょ。
共通点ありますねーって話がしたいなら、マイノリティであると予測が出来る話でしてくれ。
そんなマジョリティの話をしたって仲良くなれない。
当たり前の話をするな。
まとめ
マジョリティの意見としての価値は弱いなって思いました。
確かに共通点として多くの人が知っているって事はでかいんだけど、「あ、そうですか」ってなる。
パリピだったらイェーイってなるのかと思いますが、結局気を遣って無理やり盛り上げる事が多いよね。
それは、盛り上げれなかったあなたが悪いんじゃなくて、マジョリティの話だから当たり前です。